葛飾北斎、パリへ行く 作詞・作曲 佐原詩斎 Sop.渕田嗣代 Pf.板谷潔

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  • Опубликовано: 2 янв 2025
  • 2024.11.8(金)昼の部 ティアラこうとう小―ホールにて再演
    (初演は、M.Sop.小林真理さん、Pf.杉浦菜々子さん)
    江東区音楽家協会マンスリーコンサート"空と鳥のうた"より
    以下は冒頭ご挨拶
    皆さま、こんにちは。作曲家の佐原詩音です。
    都市生活のなかで、漠然とした孤独を抱く少年は、鳥を追いかけて、鳥の歌を聴いて、どこか遠くへ行ってしまったようです。鳥とは、空高く舞い上がり、遠くへ行くもの…私は、"魂"が鳥のように飛んで行ったなら、どんなことが世界に影響するだろうと考え、"葛飾北斎、パリへ行く"という歌曲を作詞・作曲しました。北斎は 1760年、現在の墨田区に生まれました。幼い頃から絵を描き、19 歳で浮世絵師となり、約 70年も情熱を注ぎ続けました。北斎は30回も雅号を変え、93回も引っ越した風変わりな人。そして中国や西洋の絵画も学ぶほど、好奇心の豊かな人でした。ありとあらゆるものを描き尽くそうとしたその作品の数は、実に3万点以上。西洋美術に大きな影響を与え、特に1867年、フランスのパリ万博に出品された北斎漫画をきっかけに、"ジャポニズム"と呼ばれる日本ブームが巻き起こりました。 88歳で亡くなるとき、「あと5 年、いや、あと 10年生きながらえることができたなら、本物の絵描きになれたのに」と語ったと、伝えられています。"ひと魂でゆく気散じや夏の原"。これは晩年、北斎が詠んだ俳句。鳥が空を飛ぶように、蛍が草木を浮遊するように、人魂になって時を越え、世の中を駆け巡りたいという意味です。 北斎の魂は世界中の芸術に影響を与え、今もこれからも、 多くの人々の心に生き続けることでしょう。"葛飾北斎、パリへ行く"、お聴きください。

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